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TTMAフォレスト 未来を考える 活動内容 ボランティア募集 交通アクセス お問い合わせ
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未来を考える
 

 
 

 

国民の40人にひとりは精神疾患の患者
◇働き方を見直してみましょう。
◇個人主義と利己主義
◇ストレス社会における体調不良
農薬と添加物の影響
コミュニュケーション能力の低下
お金教の呪縛を解き放とう
原点に立ち返る生き方
地球環境を守ること
地球は誰のもの?
正しいも間違っているもない
すべてはエネルギーの循環
虫けらを殺して長生きしたい?
この地球に生きること
お金がない世界を想像してごらん?
◇ただ生きるって、それだけで価値のあること
◇あなた自身の根底にある価値観に気付いていますか?
◇枠の外に飛び出そう!
◇洗脳の呪縛から解き放て!
◇本能に従って生きることを何故否定しなくてはいけない?
◇進歩も後退もない。善も悪もない。ただそこにあるだけ。
◇生きとし生けるものすべてに感謝を忘れない。
◇世間体や制度にとらわれない自分自身の考えを確立せよ
◇うつは病気なんかじゃない。
◇それでも君はお金の魔力に支配され続けるのか?
◇誰のために生きる?何のために生きる?
◇人類はまだ月に降り立っていない。
◇歪められた情報に支配されている?
◇マッカーサーの3S政策をご存じか?
◇氷河期はいずれまたやってくる
◇自給自足生活で本当の強さを手に入れる。
◇スマホをいじって美しい夕日に気づかない日々
◇心を満たしてくれるものは心だけ
◇価値観が感情を呼び起こし、感情が行動を起こさせる。
◇電気クラゲが電気を発生させるメカニズムもわかっていない。
◇鉢の植物よりも地植えした植物のほうが成長が早いのは何故?
◇農薬を使って育てた飼料を食べ続けた牛がある日悪臭放つ乳を出した話。
◇豚や牛にも僕らと同じように感情がある。
◇自殺大国日本:日本人の40人にひとりは自殺者の遺族
◇人生は芸術だ。ひとりひとりがアーティスト。
◇行政が法制度を細かく規定するほど、国民は軟弱になる。
◇なぜ、医者はがんになっても、がん治療を受けない?
◇4本足の鳥を食ったことがあるか?

 

 

◇日本の総人口の40人にひとりは、精神疾患の患者

うつ病や○○依存症など、社会に適応できない精神疾患の若者がとても多いです。テレビ、新聞、雑誌、パソコン、スマホなどあらゆるところで情報が氾濫し、いろんな価値観がもっともらしく取り上げられ、それを知らないことで仲間外れにされる世の中です。だから情報に振り回されるのです。実際に多くの人が朝起きてから寝るまでの間の大半を情報端末と一緒に過ごしているのではないでしょうか?本来、こんな生活スタイルは、ここ最近の話で、人類史上類を見ないくらいやばいもの。まさに凶器の沙汰である。人間もそもそも動物なのですから、そこまで対応できるわけがありません。そもそもそんな風に遺伝子にプログラミングされていないのですから。ですが、頑張らなくちゃならないっていうのが常識になってしまっているから、みんな無理をするわけです。無理に無理を重ねて、精神のバランスを崩すのです。そんな時に行く場所は、一応「心療内科」だということになっているから、多くの人がそういうパターンで行動してしまうわけです。

病院では、もっともらしい病名をつけて、無理やり病人に仕立て上げられます。精神安定剤には、不安や緊張をやわらげ、筋肉の緊張を取る作用がありますが、もちろん副作用もあります。医者はそれを知っていて、説明もろくにしないで薬を処方します。何故なら、それは医者たちの利益に代わるからでしょう。一度薬漬けにされた患者の身体には、そのうちあちらこちらに弊害が出てきます。次第に患者は大量の薬を飲まなくちゃいけない身体になって、正真正銘の病人になっていくのです。そうなったら、なかなか社会復帰できません。なんという悪循環なのでしょうか。

薬漬けにされた彼らは複雑すぎる社会の被害者であり、同時に病院の医者たちの餌食でもあるわけです。「そうした連中を救いだし、社会に復帰させる役割を果たせないだろうか?」と時々思います。もっと人間本来の生活を取り戻したらいいのだと思います。毒が入ってない自然の食材を食って、大自然を全身いっぱいに感じて、大切な人を愛して、自分もまた愛されること。ただそれでいいんじゃないのかなと思います。

本来は、行政がやるべきことなのかもしれないですけど・・・・今のところ、厚生労働省でも何の具体的な手段も講じていないようです。実はとても大きな問題のはずなのですが。だって、日本の総人口の40人にひとりは、精神疾患の患者なのですよ。

(以下厚生労働省HPより抜粋)
精神疾患により医療機関にかかっている患者数は、近年大幅に増加しており、平成23年は320万人と依然300万人を超えています。内訳としては、多いものから、うつ病、統合失調症、不安障害、認知症などとなっており、 近年においては、うつ病や認知症などの著しい増加がみられます・・・・・・・

 

 

◇働き方を見直してみましょう。

働くって何でしょう?働くって、経済力や地位による満足感、優越感を必死に求め、労働することなのでしょうか。ですが、自分の価値を高めて、他者よりも有利な立場になることにそんなに大きな意味があるのでしょうか?働くとは、他人のために心を込めて尽くすこと。それによって人間力を磨き、人として成長することだったはず。他に恵みを与えて、同時に自分も恵みを与えてもらうという社会構造の根源であったはず。いろいろな働き方や職業がありますが、どれを選んでも、全力で取り組み、世のため人のために尽くすことは、いつの世も美徳なのです。

だけど、実際には、言われたことをやってやってさえすればいいとか、拘束された時間だけそこにいればいいとか、そんな陳腐な考え方も横行しています。それ以上に、人をだましたり、悲しませたり、人道に反するような犯罪まがいな仕事まで存在しているのが実情です。教育と言う名の洗脳を受けて、型にはまっていくことが大人になるということなのでしょうか・・・?社会人とはそういうものなのでしょうか?

そろそろ、自分が生まれた意味や人生の目的を考えて、正しく生きることを考えませんか?本来、仕事をする目的は、単にカネだけではなかったはず。仕事とは、金!金!金!のために、来る日も来る日も身を粉にして働くことじゃなかったはずです。あなたが、今の仕事を通して自分の夢をかなえるために困難を乗り越え、知識や技術を高め、人として成長することができているのなら、それはとっても素晴らしいことです。だけど、もしもそうじゃないなら、すぐにでも辞めてしまうべき!人生80年として、その中で約半分は働く時間です。人生の大半を仕事と言う仮面をかぶったくだらない時間に費やしているのなら、そんなの時間の浪費以外の何物でもありません。何でもかんでもカネという基準で人生を考えるのじゃなくて、プライスレスな自分の価値で自分自身の人生を考え直すべきだと私は思います。まずは、自分を見つめ直す環境に身を置いてみてはいかがでしょうか?無意識な呪縛を解き放って、プライスレスな人生の描き方が見つかれば、あとは毎日が楽しく充実してくるものなのだと思います。

 

 

◇個人主義と利己主義

個人主義と利己主義は当然ながらその意味が違います。英語にするなら、「INDIVISUALISM」と「SELFISH」です。しかし、今の人たちを見ていると、多くの日本人がその意味の違いを理解していないように感じます。自分の都合のよいように勝手に解釈して独り歩きしているように感じます。個人主義は、個々の人間の主体性を重んじて、一人一人の個人が自由に生きることの権利が保障されている代わりに、個々の人間が集合して成立する社会に対して個人としての自覚と責任を負うもの。利己主義は、自分が益することだけを行為の基準として、他者のことや個々の人間で成り立つ社会の利益を全く考慮することなしに、自己本位な生き方を推し進めることです。

戦前の国家主義的な日本では、個人の主体性を重んじる個人主義は許されていませんでした。日本の敗戦によって、国家主義的な思想は廃されました。そして西欧諸国の理念である民主主義が導入されました。精神的にも物質的にもボロボロの状態に置かれた日本人は、戦後、ただ食べんがためにひたすら働きました。その結果、日本は物質的にはとても豊かな国になりました。戦前・戦中に教育を受けた当時の日本人は、勤勉な精神性を徹底的に叩きこまれたていた人たちですから、戦後のどさくさの中でも、皆無状態にまで荒廃した日本をあれほどめざましく復興させたのです。今の日本はどうでしょう。東日本大震災の傷跡は何年たっても深く残されたままです。個人の自由を、他人のことは構わずに自己の利益のみを追求してよいとする利己主義と勘違いしてしまった今の日本人は、国籍は同じ日本人ですが、全く違った精神性を持つ国民だと感じます。

家長制度が崩壊した日本では、長男が家を継ぐ長子制度がなくなり、二男、三男も均等に遺産を相続できるようになりました。これと同時に家という概念が崩壊して、家という意味を考えたことのない親たちが子供を育ててきました。つまり、利己主義を個人主義とはき違えている人たちがすでに親となっています。多くの教師たちも利己主義を個人主義とはき違えています。こうして、利己的な子供たちが大人になって世の中に散らばっていきました。

あるアメリカで育った日本人(仮名:米山さん)が、日本で暮らすようになってびっくりしたという話を聞いたことがあります。米山さんは、「日本人の残業が多いのはなぜ?」と日本人に質問したところ、その日本人は「上司や同僚の仕事が終わらない間は帰りにくい雰囲気があるから」と答えたそうです。米山さんは続けて質問したそうです。「じゃあ先に仕事を終えた人がまだ終わってない人を手伝えば良いのでは?」と。その日本人は「自分の割り当てではない仕事を手伝う例はほとんどない」と答えたそうです。米山さんいわく、アメリカにおいても、成功している組織では、先に仕事を終えた人間は自然と同僚を手伝うものだそうです。欧米の職場には日本人が言うところの「個人主義」なんていうものは存在しないそうです。まさしくこれは「利己主義」なのであって、意味を履き違えた日本人が使う「個人主義」という言葉にに頭を抱えたそうです。本来、英語で言う「個人主義」の意味とは、集団に所属する一員としての役割や権利を相互に尊重しあう立場のことで、「私利」が「他利」に優先されるというワガママを容認してしまっては成り立たない概念なのだそうです。

私も実際にこういった方たちを数多く目の当たりにしてきました。特にゆとり教育を受けた世代の人たちがこういう発想をします。「独立したい」というのも辛い毎日から逃げたいだけの言い訳であったり、「会社に迷惑がかかるから」という言葉も、本心は逃げたいだけの詭弁であったりすることがほとんどです。こういった人たちは、きちんと向き合う場面でさえ、自分の都合や気持ちしか発言しません。「いっぱいいっぱい」だとか、「自分なりには一生懸命やった」とか。主語は常に「I」であって、「We」になることはありません。それでも気持ちを素直に伝えてくれるならいいとしましょう。中には返事をしないばかりか、だんまりを通したり、目も合わせないような態度も利己主義型人間の中では個人の自由らしいです。まず私たち日本人がなすべきこととは、個人主義と利己主義の違いをしっかりと理解して、利己主義を社会的に根絶することなのかもしれません。

社会において個人の自由が保障されるということは、それに伴って個人の責任が付帯されることを意味しています。自分の好き勝手にしてよいということが、自由の意味ではありません。それは自由の意味をはき違えていることです。自分が自由でありたいためには、他者や社会に対して責任を負うことが必要なのであり、決して他者の自由を侵害してはならないものです。自分が自由気ままに行動することで、他人の自由を侵害するようなことがあれば、それは利己主義であって、決して個人主義ではありません。

 

 

◇仕事をしようよ!~フリーランスのススメ~

突然ですが、あなたにとって仕事って何ですか?仕事はストレス?苦痛?惰性?要求?我慢?金?無理難題?同じことの繰り返し?そう思うあなたは、きっと仕事をしたことがない人です。仕事ではなく、作業をしてきただけの人でしょう。作業を重ねて、結果をだして、予想した未来をカタチにして、はじめて作業は仕事になります。作業の繰り返ししか経験していないのなら、当然それはつまらなく苦痛なものに感じるでしょう。だから、独立したいのですね。だから、フリーランスにあこがれるのですね。仕事とは、「決まった時間そこに行って耐えながら時間を過ごしてお金をもらうこと」ではありません。それは、自分の時間を切り売りしているだけのことです。自分の時間は、自分の命です。仕事という名のもとに、自分の命を切り売りしていたら、それは苦痛以外の何ものでもありませんね。

私は経営者のはしくれですが、今まで多くの人を面接する機会がありました。多くの人は、作業内容と報酬額と休日日数などの条件だけを見て応募してきました。質問ありますか?と聞いても、会社の方針やビジョンには全く興味がないようでした。当然ながら、結果は全員不採用でした。何故かって?作業ロボットは不要だからです。今後はまずますAIで仕事はロボットにどんどん奪われていきます。正確に言うならば、作業はどんどんロボットに奪われます。雇う側も雇われる側も、作業するだけのロボットはもう要らないのです。人間にあってロボットにない能力は「想像力」だけです。でも、熱い思いを持たないから、ロボットは創造する力を持っていません。でも、私たち人間は思いがあるから、創造する力があります。「作業」とは、決まった手順で決まったことを行うこと。「仕事」は、作業を線でつないでそこに価値を生み出す活動にすることです。ずっと「作業」をやっていると「仕事」をした気になりますが、それだけではなかなか価値は生み出せていないものです。作業を繰り返すだけなら、その役割は、いずれコンピュータやロボットに置き換えられるでしょう。そういう時代はすぐそこまで来ています。今までの職場で「作業」をしてきた人は、これから初めて「仕事」をすることになります。あなたが変われなければ、いずれ職を失うこなるだけです。もはや、選択の余地はありません。

それなら、いっそのことフリーランスで自分の夢を追いかけませんか?そのためには、まず頭を柔らかくすることです。今まで常識だと思っていたことを、疑ってかかることです。常識は洗脳です。誰かに押しつけられた価値観です。誰かがあなたを都合よく使うために押しつけた価値観です。常識は常に変化しているもの。時代と共に変わっていく価値観です。固定概念にとらわれ過ぎると、いつしか頭が固いと言われるようになるでしょう。常識は今を生きる私たちが作っていくものです。だから、型にはまった考え方を捨てて、思ったように行動すればいいのです。たとえば、企業人の間では「オンとオフのけじめをつけること」が常識のようになっていますが、フリーランスでは、それが必ずしも正しい理屈であるとは限りません。企業人の間では、経験の有無も問題にされてきたことでしょう。でも、フリーランスに経験など要りません。経験したことを繰り返すだけでは、新しいことを産みだせないからです。すでにあるものをあなたが始めたところで、誰も見向きもしてくれません。オンリーワンでなければ、いずれ、価格競争に巻き込まれて苦しむだけだからです。だからこそ、誰もやったことがないことを始めてみましょう。

今までの地球は、経済優先で何もかもが回っていました。でも、これからは違います。今までの常識が通用しなくなります。だから経済至上主義の企業人の常識なんかかなぐり捨ててしまっていいのです。早くその洗脳の呪縛から自分自身を解き放ってください。自分の夢を追うことは、人生の目的であり、学びであり、遊びであり、楽しみでもあるはず。つまり、仕事とは、自分の夢をかなえるための作業なのです。だから、自分の夢を追いかけることを仕事にしましょう。ひとつだけ、どうしても忠告しておきたいことがあります。自分の喜びが他者の喜びになることをしましょう。「お金ちょーだい!ちょーだい」だけでは、誰もそこに魅力を感じないからです。それでは乞食と同じになってしまいます。相手に喜びを与えることができれば、それは結果としてあなたにお金が巡ってきます。エネルギーに置き換えて説明してみましょう。気持ちはエネルギーです。労力もエネルギー。お金もエネルギーです。つまり、エネルギーの等価交換でしかありません。だから、気持ちをこめて相手にエネルギーを与えれば、形を変えていずれお金になって戻ってきます。ただそれだけのことです。本来、仕事は、喜びであるはず。そのためには「他者との良き関係性を持つこと」です。どんなに多額のお金を稼いでも、孤立した孤独な人生に生きがいを感じることはできないでしょう。反対に他人に認められてココロがいっぱいに満たされれば、お金なんてたくさんいらないと感じるものかもしれません。仕事は自分の喜びであり、他人にとっても喜びでなければなりません。そうでなければ、成り立たないからです。ココを同じにしなければ、また苦痛だらけの辛い毎日を送るしかありません。

仕事をすることは、夢をかなえること。
仕事をすることは、自分が成長すること。
仕事をすることは、他人を幸せにすること。
仕事をすることは、あの人を幸せにすること。
仕事をすることは、みんなを幸せにすること。
仕事をすることは、住んでる地域をよくすること。
仕事をすることは、この地球をよくすること。
それは、自分が幸せになること。みんなが幸せになること。

 

 

◇日本の精神性を取り戻して世界に向けて発信しましょう。

極楽寺の「TTMAフォレスト鎌倉」ここはさまざまな人が集う生涯学習の場大人の学校 ここには一切の差別、区別はありません。大人も子供も、国籍も、肌の色も、同性愛者も、猫も、霊も、神様もみんなが寄り添って一緒に学び生きています。ここでは、この広大なスペースを活用していろいろなことをやっています。ベンチャービジネスやボランティア活動を中心にみんながやりたいことをやっています。

終身雇用制が崩壊して、お決まりコースに乗っかっていれば一生安泰という時代ではなくなりました。学歴だって、それ自体は何の意味もありません。大学が就職を有利にするための機関になり下がっていますが、とても残念なことです。学んだことは、それをどう活かすのか、が問題です。学んだことは、活かして始めて意味があるものです。

価値観、生活感の多様化はどんどん進んでいます。それによって、単一的な教育制度や単一的な倫理観を押しつけられて育った人たちの多くが病んでいます。当然です。判断力が身についていない幼少時代に洗脳された倫理観が実際の世の中では通用しないわけですから。受験戦争に勝ち残り、一流大学を卒業して、一流企業に就職して、結果的に自殺!!なんという世の中なのでしょうか?

ここでは、自由にイベントができます。ボランティアができます。週末起業もできます。日常を豊かに過ごすには、生きがい、やりがいが必要なのです。ここにはネコカフェもあります。猫に人が癒されるカフェではありません。動物のためのカフェです。人が動物たちの世話をしています。彼らが健やかに幸せに生きられるように。猫は人間の愛玩具ではないのですから。猫を癒すカフェ。家族を癒すカフェです。ですから、ここに傷ついたペットや病んでしまったペットを連れてきてください。

とりあえず、極楽寺の「TTMAフォレスト鎌倉」にお越しください。そして、森に聴いてみてください。自分が求めているもの。そして自分が望んでいる世界を。自分発見の旅がここでできるはず。あなたは、子供の頃のわくわく感や夢を持ち続けていますか?いつの間にか、そんなものじゃ飯は食えない!と一蹴されてたくさんのことを諦めさせられませんでしたか?ひとりひとりがもっと好きなことをやり始めれば、豊かさの循環が始まります。これからは個人個人が豊かさを追求する時代です。そのためには、まず自分自身と向き合うこと。そして、自己を確立すること。個々が確立されて、自らの生業と、その生きざまを他者が尊重してくれたら、自殺ゼロ社会が作れます。

謙虚でまじめで、でも右へならえはしない。他者を尊重して、互いのつながりの中で己を活かしていく生き方。それを個人主義といいます。でも、現実は、違います。約束は破る、借りた金が返せなければ自己破産すればいい。自分さえよければそれでいい。という考えが横行しています。これは個人主義ではなく、利己主義というものです。まわりの迷惑や他人の気持ちを考えないというのは、社会性の欠如であって利己主義以外の何ものでもありません。腐敗政治も横行しています。政治家は、自分のことはさておいて、地域社会や国家のために力を尽くす人でなければならなかったはず。でも、実際には、自分自身の票を獲得するため、自分自身の利権のためにだけ動いている。それが明るみになれば、一般の国民はそれを駄目だと批評する。自分はさておき、他人のことは騒ぎ立てる。つまり、自分のためじゃなくて、自分以外の何かのために尽くすことが美徳であることを本当はみんなが知っているはず。こんな偽善や欺瞞が横行している世の中なのですよ。みんながこんなに利己主義だったら、この世はどうなるのでしょう?争いも頻繁に起こっています。争いの根本は、こだわりや思い込みから生まれます。どちらが正しくて、どちらか一方が間違っているというわけではありません。主義、主張がいけないのではなく、自分と違った考え方を尊重するという感覚が欠如していることが問題です。だから今おとなの学校が必要です。あまりにもたくさんのおとなが利己的過ぎます。大人がわかっていないから、子供たちもどんどんそうなっていきます。昔から言われてきたこと。「モノを大切にする」、「人に迷惑をかけない」、「譲り合うこと」、「分かち合うこと」、「謙虚であること」。でも、いったい誰が実行しているのでしょうか。頭にはあっても、誰もやり続ける勇気も強さもない。そんな世の中です。

第二次世界大戦のときに欧米の兵隊が日本を馬鹿にしてこう言いました。「日本の家は木と紙でできてやがる!」そう、その通りです。日本は「氣と神でできています。」そんな日本の精神性は崩壊しつつあります。確かに日本は大陸からさまざまな文化をもらっていますけど、ニッポン人はニッポン人として唯一無二の進化を遂げてきたはず。ニッポンには世界に誇るべき文化や価値観があったはず。まさにこの地は神の地です。オカルトやスピリチュアルじゃなくて、神というのは自然科学のこと。

質素倹約、質実剛健、精力善用、他者主義、自他共栄。
健、剛、柔、凛はまさに自然そのもの。
柔らかさと強さを内包して、おごり高ぶらず。
威圧的でなく、荘厳である。
何事もこだわらず、何者でもないというこだわり。

かつて日本人の心は清らかで気高く美しかった。しかし、戦後、自分たちの心を見失ってしまいました。それが今日のさまざまな、本当にさまざまな、個人から社会レベルに至るまでの問題を生んできました。強い精神力に裏打ちされた愛によって、大きく和するという、極めて積極的で前向きな力強い精神のこと。それが日本人の本来の心です。今こそ、日本人の心をとり戻す時。そしてその精神性を世界に向けて発信すべき時です。私たちと一緒に、日本の価値観を世界の人たちに伝える活動をしましょう。それが真の意味での国際化というものです。

ここ極楽寺のTTMAフォレスト鎌倉にお越しください。そして、好きなだけここにいてください。そして、ここで自己実現を果たしてください。ただし、ここにはルールがあります。迷惑をかけたらごめんなさいということ。恩を受けたらありがとうということ。自分のことのように相手の立場を考えること。自分がされて嫌なことは他人に対してしないこと。人間も動物も同じ命であることを尊重すること。動物や植物や地球そのものが生きていることを感じること。このことだけはここにいる限り必ず守ってください。ここに来たい人は、こちらからメールを送信してください。

 

 

◇言葉で考えないこと。

言葉は意思疎通を図るためのツールです。でも、言葉があるから、理屈が生まれ、屁理屈が生まれます。しかし、言葉が巧みで、細かな表現ができることが必要十分条件ではないと思います。言葉には限界があります。微妙な複雑な感情を全て、言葉で表現することはできません。通常私たちは助詞や前後関係、つなぎ方でそれを判断しています。同じ言葉も、前後関係によって、プラスの意味やマイナスの意味に変わります。プラスマイナス両方の意味を同時に表現する場合もあります。受け取る側の先入観や感性によっても、それがほめ言葉であったり、皮肉を含んでいたりします。

ひとつの単語。たとえば「仕事」。この言葉も人によって、その意味や価値が異なっています。それは金もうけの手段?それとも義務?はたまた、人を幸せにするためにやってるライフワーク?話し合いで、互いにわかりあえたかな?と思っても、どうもやっぱり食い違っているということはしばしば起きることです。それは、同じ言葉を使って会話をしていても、ひとつの単語の意味やニュアンス自体が、個々の経験や価値観がもともと異なっているために起きる問題です。つまり、言葉だけでコミュニケーションを図るということ自体に無理があるということです。

もともと、武士道では「慮る(おもんばかる)」ということを重要視してきました。言葉そのものだけでなく、言葉の前後左右にある意味や思いを感じとって知ること。周囲の状況、立場関係、関係性、行動、表情、動作などから、思いをめぐらして、真意を読み取ることが必要だとされてきました。相手の思いをきちんと受け止めなければ、人間関係を悪くします。相手の思いを読み取るためには、まず、自我を抑えて客観的な視点を持たなければできません。

自我を抑えること、エゴを捨てて、客観的な視点を持つということは、努力をしなければできることではありません。あなたは、そんな努力をしたことがありますか?

私は仕事柄、マッサージを指導していますが、まずは勝手な思い込みを捨てないと、相手が望む施術をすることはできないと、教えています。相手が望む施術を提供できなければ、相手心から満足してくれることはありません。まあ、こんなものか。でもまあ、やってもらわないよりはましだった。まあ、気持ちよかったよ。そんな気持ちでしかないはずです。施術者が、もしも、「自分自身は精一杯頑張ったのだから、これ以上はどうすることもできない。」と考えていたら、その施術者はそれ以上プロして向上することはできないでしょう。

まずは、自我を捨ててみる努力をおススメしています。でも、自我を100%全て捨て去ることはできません。これでもか。これでもか。と自分のこだわりを捨てていっても、まだ先に自分の思いがあるものです。ですから、完璧じゃなくていいのです。出来る限り、思い込みやこだわりを捨てながら、物事を客観的に見る視点を養うのです。そうすると、色々なことがわかるようになっていきます。

あの人はこういう風なものの考え方をしてるとか、あの人がここを認識していない理由はこういう思いにとらわれてるからだ。とか。その人に触れることができるなら、すぐにその人がどんな人かわかってしまいます。特にお腹が一番よくわかります。思いこみやエゴ、こだわりを捨てて、相手に向き合うことができるようになると、相手のことがよくわかるようになります。そうなってくると、あまり言葉を重要視しなくなっていきます。そして、だんだんと、神の視点というか、地球や宇宙の視点みたいなものが感じられるようになっていきます。こうすれば、物事が自然とうまくいくとか、これはうまくいかないとか。ビジネスも同じです。上手いやり方や問題点の解決について答えがなんとなくわかるようになっていきます。僕の場合は、あれこれ考えたり、悩み苦しんだりとかいうことはありません。だいたい毎晩夢を見ますが、朝方に、夢でこうすればいいよとやり方を教えてもらっているだけです。だから、朝起きたら、忘れないようにそれを紙に書き止めておきます。だから、思ったように物事が進んでいきます。悩むことはありますが、答えを教えてもらえるので、窮地に追い込まれることはほぼなくなってきました。

自我を抑えること、エゴを捨てて、客観的な視点を持つように努力することは、決して難しいことではありません。わざわざ瞑想しなくたってできることです。自分自身の中だけで完結できるちょっとした努力でしかありません。これだけ、身につけることができれば、人生きっと上手くいきます。せっかくだから、もったいないから、ぜひ皆さんもやってみればいいのに。そんな風に思っています。ぜひ!!

 

 

◇恰好つけないこと

本心では、他人と仲良くなりたいと思っていても、どうやったら仲良くなれるのかわからなくて悩んでる人が多いものです。「どうしたらいいのだろう?」 「何をすればいいのだろう?」 「でも、人と接するのってどこか難しい。」 「別にいいやこのままで!」こんな気持ちで暮らしている人がとても多いものです。

最近は、どうも世の中の風潮がドライです。何かあれば、すぐに裁判だって話になるし、陰湿ないじめも横行しています。怖いから、人と接すること自体が怖くなるわけです。パートナーがいない若者が増えていますし、スキンシップの経験も少ないから、どんどん心が荒んでいきます。

スキンシップは何にもまさる癒しです。赤ちゃんだって、触れてあげなければ死んでしまいます。大人だって同じことです。そして、セックスレスが依存症や精神疾患を増加させています。セックスは単に子作りのための作業だけではありません。スキンシップは、身体の感覚を研ぎ澄ましてくれます。気持ちを癒してくれます。スキンシップが足りないから、空気が読めないのです。空気が読めないから、自分だけ取り残されたひとりぼっちの感じになっていきます。だから、精神がどんどん荒んでいくのです。スキンシップは、言葉じゃない人間の本質のところで、誰かを幸せにしてあげることができます。自分も幸せになれます。

マニュアル人間も増えています。マニュアルがなければ、何もできないと勝手に思い込んでいるのは、失敗を恐れているからでしょう。本当は、失敗しながら、学んでいくものなのに。失敗を許さない風潮が世の中に蔓延していることが問題なのです。

自分を開いて、迷惑をかけたら、「ごめんなさい」。世話になったら、「ありがとう」。ただ、それだけでいいのだと思います。心から「ごめんなさい」と「ありがとう」が言えさえすれば、人間関係は良くなります。どんなに繕ってごまかすよりも、間違えてしまった自分をさらけ出すことです。心から気持ちを相手に伝えれば、誰もあなたを責めたり批判したりしないはず。

まずは、自分自身を認めてオープンにすることです。お金が好きで、すけべで、だらしなくて、ダメな自分を見せちゃうことです。もしも、自分をオープンにすることができないとしたら、それはきっと、自分のことしか考えていないことが周りにばれるからでしょう。それなら、自分のことも大事にしながら、周りの人も大事にしようと考えればいいだけのことです。そうすれば、自分をさらけ出してもきっと怖くないはずです。どうせ隠したって、わかる人にはわかるものです。繕ったっていずればれます。繕うから仲良くなれないのです。

どうせ、一皮むいたらみんな同じです。どんなに偉い人も政治家だって医者だって教師だって、お金が大好きで、すけべで、だらしないものです。立場がある人は、それを上手に隠してるだけで、化けの皮をはがせば、みんな大して変わりません。頭がいいとか、悪いとか、金持ちだからとか、貧乏だからとか、立場があるからとか、ペーペーだからとかは関係ありません。人間はみな、大して変わりがないものです。偉い人も場数を踏んでいるから、言葉巧みに、さもすごい人のようにふるまっているだけ。聖人なんて妄想です。坊さんも神主もやくざもチンピラもみんな中身は同じです。だって、欲望があるのですから。それが人間っていうものです。勉強ができた人もできなかった人も変わりありません。学歴がある人もない人も、人間の価値には関係ありません。どんな人間も、大して変わりはありません。だから、自信をもって、正々堂々と、わからないことはわからないと言いましょう。間違えたことは間違えたと言いましょう。ごめんなさいと言いましょう。ありがとうと言いましょう。寂しかったら寂しいと言いましょう。嬉しかったら嬉しいと言いましょう。お金が好きだと言いましょう。私はすけべだと言いましょう。恰好つけずにオープンにしましょう。素直になればいいだけです。それで、もっとスキンシップを図りましょう。ただ、それだけのことで、素晴らしい世の中になります。

 

 

◇器

とにかく、最近の人たちは、器が小さい。政治家も、外に女がいるだけで、ほかの議員から足を引っ張られる。昔は、誰でもたたけばほこりが出るのは当たり前だということをみんなが知っていたものです。だけど、その人じゃなきゃできないような素晴らしい偉業をみんなが認めて、器の大きい人が世の中を守っていたものです。今じゃ、ちょっとした発言で、コケおろされるのが常識となっています。重箱の隅をつっつくだけの評論家みたいな政治家がとても多い。正しい行いを貫くことよりも、後ろ指をさされないようにしてるだけの政治家が多い。

これはどうだろう?金に困った貧しい者に、汚職大名や悪徳商家から盗んだ金銭を分け与えたねずみ小僧は善人か?それとも悪人か?議論が分かれるところだとは思いますが、今の時代なら、悪人のカテゴリに分類ことのほうがきっと多いのだろうと思います。善人とは、悪いことをしない人のことを指す言葉なのだろうか?善人とは、正しい行いをする人に対する言葉だったはず。悪いことをしないことと、正しいことをすることは、必ずしも同じではないはずです。

 

 

◇HAPPY HAPPY PROJECT

極楽寺のTTMAフォレスト鎌倉では、「ハッピーハッピープロジェクト」をやっています。これは、個人事業を開始するための足がかりの場所にしてほしいという願いからスタートした企画です。私たちの考えでは、事業を成功させるために、相手をハッピーにすることをまず考えよう!ということをテーマにしています。相手をハッピーにすれば、それがお金として自分に戻ってくる。そうすれば自分もハッピーだよね。という考え方をモットーにしています。

まあ、言ってみれば、原点に立ち返ってビジネスをしていこうということなわけです。なんで、わざわざこんな言い方をするのかと言いますと、あまりにも自分の金もうけしか考えていないようなビジネスが世の中に横行しているからです。今の地球は、なにもかもが経済優先で回っています。毛皮や象牙のために平気で動物たちを殺します。ペットショップで売れ残った動物たちは毒ガス室で殺されます。野菜の収穫量を増やすために、農薬をたくさん散布して、昆虫を殺します。農薬入りの野菜を食べれば、人間も具合悪くなります。家庭でも殺虫剤をしゅーしゅーしてアトピーや花粉症が助長されます。こうやって、地球環境を壊してしまうから、いろいろおかしくなっていくわけです。考えてみれば、当たり前のことです。地球環境が壊れて、食物連鎖が停止してしまえば、私たち人間も生きていくことはできません。なのに、どうして、地球環境を壊すことを止めないのでしょう?お金が欲しいからですか。なるほど!地球環境を壊しても、自分さえよければそれでよくて、カネは欲しくて、さらに長生きしたいわけですか?そんなに自分にだけ都合よく生きられればいいですけどね。法に抵触しなければ、何をやってもいいということなのですか?でも、そんなやり方だと、仮にお金を手にしても早死にしてしまいますよ。もしも、神様がいるとしたら、そんなエゴイストは真っ先に抹殺するでしょうからね。

単純に「ビジネス=金もうけ」とは私たちは考えていません。ビジネスは、自分自身にとっての学びであり、相手に喜びを与えるための手段であるはずです。自分のことのように、相手のことやみんなのことを考えるための学びです。グローバルな視点を養うための学びなのです。お金儲けをすることは、決して悪いことではありません。誰かをだましながら、上手くやろうとする精神が問題なのです。

つまり、「ハッピーハッピープロジェクト」では、原点に立ち返って、幸せになるための意義のあるビジネスを考えようということがポイントです。地球環境を守りながら、相手のことも思いやりながら、みんなで幸せになっていくためのビジネスを模索していこうということです。ですから、みんながハッピーになるビジネスをみんなで考えていくためのプロジェクトが、「ハッピーハッピープロジェクト」です。

この場所に集まって、みんなで話し合いましょう。
この場所に集まって、アイデアを出し合いましょう。
この場所で、出会う人たちとビジネスを立ち上げていきましょう。
自分の考えているビジネスを、ここで出会う人たちに聞いてもらって意見をもらうのもいいでしょう。
この場所を使って、イベントをやっていくのもいいでしょう。
この場所から、世界に向けてビジネスを発信していきましょう。
自分と向き合って、みんなのことを考えて、この地球のことを考えていきましょう。
あなたの夢をビジネスにして現実世界に活かしていきましょう。

この場所は、お寺や修道院、宗教施設とは違います。
このプロジェクトに集まる人たちからお金は一切もらいません。
ただ、あなたが生きていくための方法やビジネスにつなげていくための学びにしてください。
個人事業をスタートしてビジネスを展開してください。
最初の資金がなければ、集めればいいだけです。
今はクラウドファンディングもあります。
みんなを幸せにして、地球を良くするビジネスなら、きっと資金は集まります。

ビジネスが成功したら、次に続く人たちのために、知恵や資金を援助してあげてください。
そんなプロジェクトが、「ハッピーハッピープロジェクト」です。
みんながハッピーになって、自分も活かされるためのプロジェクトです。
そんな場所がここ、TTMAフォレスト鎌倉です。ぜひ、ここにお越しください。

 

 

◇思いや意識を合わせること

思いや意識を合わせること。それは、共同で作業をこなしながら、目的に向かうためには、必ず必要なことです。今の日本は、言われた作業をしていれば、それでいいと考える人たちが大半をしめるようになってしまっています。点で作業をこなすだけでは、目的は達成されることはありません。作業を線で結んで、想定した目標に近づけていかなければならないからです。どんなにたくさんの人がいても、意識がバラバラでは前に進むことはできません。ミスが続発して、問題ばかりが日増しに増えていくか、意見がぶつかり合い、がんじがらめになって混乱を招くか、でしょう。

昔から、人間は共同体をつくることで命をつないできました。たったひとりでは生きられなかったたら、ヒトは協力することを覚えました。マンモス狩りはひとりではできません。チームで協力しながら、それぞれが役割を果たしていました。しかし、成熟社会を迎えると、社会構造に自分自身をあてはめるしかなくなってきます。アルバイトや契約社員は、決まった作業を単にこなしていくだけのロボットとして扱われました。フランチャイズチェーンが世の中にあふれ、すべての行動がマニュアル通りに動くしかありません。決まった作業をすることだけが求められ、それ以外のことはやってはいけないという考え方です。こうした社会が数十年続いた結果、ヒトは創意工夫していくことを忘れます。個人はマニュアルがなければ動けなくなっていきます。組織が大きければ、目的自体を理解することを忘れ、自分に割り当てられた作業しか見えなくなります。被雇用者は、指示された言葉から、その先にある未来予想図を想定することもできないまま、表面的な言葉どおりに行動しようとします。つまり、イメージする右脳を止めて、左脳だけで作業をします。こうして、右脳を使わない癖が身についていきます。これが、20世紀型のヒトをロボットにして作業効率を上げるための洗脳でした。専門性を追求するという言葉を別の側面からとらえれば、その多くがロボット化ということでしょう。いつの間にか繰り返し何年も何十年もこんなことを繰り返していれば、本来持っていたはずのセンサーや感性は確実に鈍化していきます。被雇用者たちもそんな没個性の働き方に疑問を持ってはいますが、無意識にすでに洗脳されてしまっているために、創意工夫して提案したり、目的に向かって自由に動いたりということ自体を理解することができなくなっています。個人の考え方や個性を抑えて、ひたすら耐えながら暮らすことに疑問を持った人たちは、フリーランスを夢見るようになります。

フリーランスにあこがれる理由はたくさんあります。自宅で下着姿のまま働ける。売上を独り占めできる。上司がいないからストレスもない。組織のわずらわしさから解放される。いつでも好きなことができる。好きな仕事だけをしていればいいから楽しい。しかし、現実は厳しいものです。税務署の統計では、90%が開業後1年以内に廃業をしています。何故でしょう?みんな自信のある仕事を始めたはずなのに。答えは簡単です。ロボットは独立できないからです。作業をすることが仕事ではないからです。作業は点です。それを結んで線にして、形にしていって初めて仕事になります。予期せぬ出来事が日々起こります。マニュアルどおりにいかないことがたくさん起こります。独立すれば、いろんなトラブルも全部自分で対応しなければなりません。フリーランスは、その問題に対処しながら、作業も進め、未来予想に近づけていくということです。では、どうしたら、フリーランスが成功できるのでしょう?答えは簡単です。自分で考える癖をつければいいだけです。器を大きくすればいいだけです。最初から、大きくやるのではなくて、失敗してもいい範囲でどんどん思ったことをやっていくのです。

市場が欲しているものを、適正な価格で提供すれば、ビジネスは成功します。サービス業の場合でいえば、商品がよくて、もしもお客が来ないのなら、それは宣伝が足りないからです。宣伝していて、お客は来るけど、次につながらないなら、商品がよくないということです。提供する商品の良し悪しはお客が判断するものです。値段がそのサービスに見合っていなければ、それは決してよい商品であるとは言えません。その商品がよいか悪いかは、誰もあなたに言葉で伝えてくれることはないでしょう。つまり、あなたは、言葉にならない、相手の気持ちを読み取れるかどうかです。ヒトは本来ロボットではありませんから、5感で空気を察知することができるはずです。相手の思いを理解することができるはずです。これは、器量の大きさにもつながっています。最も器量の小さい人は自分のことしか考えていない人。自分さえよければそれでいいと考える人です。自分の立場でしかモノを見ないので、他人から指示されるのを待ってしまいます。だから、気が効かないと言われてしまうのです。器量の大きい人は、自分のことのように他人の気持ちを察して慮ります。まわりに気を配りながら、全体感を把握しようとしています。いつもまわりのことを考えているから、言われる前に気がつきます。気がつくから、先回りして動きます。これが気がきくといういうことです。

スポーツでも会社でも、ひとつの共同体の思いを自分自身の思いと合わせることが大切です。たったひとりで始めたフリーランスも、大きくなればスタッフを加えていくことになります。どんどん大きくなるとなかなか思いをひとつにすることが難しくなります。そうなると、会社でもスポーツでもその共同体は弱体化していきます。思いや意識を合わせることは、仲間みんなへの愛です。愛はチームワークを生み出し、忠誠心や誇りを生み出します。そんな愛にあふれた共同体は、何よりも強く尊いものになります。ビジネスを成功させるには、頭の良し悪しはあまり関係ありません。愛の大きさは、器量の大きさと同じです。器量を大きくするには、まず他人と思いや意識を合わせることです。愛を大きくするには、相手と思いや意識を合わせることです。他人の思いを自分の思いと重ねることです。これが何よりも訓練になります。この人だ!と認められる人を見つけたら、まず真似をすることです。それがその人の思いに自分の思いを同化させることにつながります。そうすると、どう動けばいいのかが、自然にわかるようになります。もともと、マンモス狩りの共同体は、命をつなぐいための方法でした。スポーツでも会社でも、共同体は生きるために協力し合う集合体でした。マンモス狩りを成功させるには意識を合わせることが大切でした。

意識を合わせることができると、他人から評価されるようになります。思いを合わせることができると、愛されるようになります。周りから認められる存在になります。これは同時に、フリーランスのための準備も同時にしていることになります。どんどん気が効くようになります。器が大きくなります。器量を大きくするには、こうした訓練をするだけです。自分の損得しか考えてない小さい自分に気づいたら、心の中で改めればいいだけです。そんなことの繰り返しで、器を大きくすることができます。そうすれば、会社でも認められますし、フリーランスだって上手くいきます。家庭内も上手くいきます。人から認められる自分になれます。どんな自分にだって、なりたい自分にきっとなれます。今日からは、作業ではない思いの部分を意識してすごしてみてください。

 

 
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